今年の夏は曇り空が多く、すっきり晴れ上がって入道雲が湧き上がるという日が少なかったが、今日は朝から、あの日のような青空。
64年前の8月15日も日本中が高気圧に覆われて暑い日だった。私は国民学校三年生で、疎開先の岡山県上房郡豊野村でこの日を迎えた。吉備高原の強かった陽射しと青空を、忘れてはいない。
飛行船
11時40分頃書斎で、高校野球を聞きながらパソコンに向かっていると、なんだか眼の隅を動くものがある。見直すと、図書館の上あたりに飛行船が浮いている。
湘南の空に飛行機の影は珍しくもないが、飛行船とは珍しい。慌てて眼鏡を捜してよく見ようとしたが、ただ浮いているのではなくて、相当の速さで動いていると見えて、かみさんにあれだよと言う間に、稲村ケ崎のほうに見えなくなった。
13時30分頃、今度はかみさんが、材木座上空を西から東南、逗子の方向に帰って(?)行くのを見つけた。

後ろから見ると肥ったマグロが泳いでいるように見える。相模湾の海岸線に沿って、海水浴場を歴訪しているのかもしれない。
時空をずらせば・・・
今年の夏休み、最初に読んだ新刊は、
『すべては宇宙の采配』(木村秋則【著】/東邦出版)だった。
そんなこと出来るわけがないとコケにされ、迫害された無農薬、無肥料のりんご栽培を成功させた、りんご農家のオヤジさんの体験記。
これが滅法面白い。
私は農業はまるで知らないけれど、そんなことはまるで関係なし。
人間も植物の根っこのように、見えてない部分がとても大きい存在だということを、ふつうのことばでユーモラスに語りながら、時間(と空間)の流れ方にいろいろあることを理解することがポイントだといっているようだ。
時間はひとつではないらしい。
私はこの本に特別寄稿している茂木健一郎というひとの肩書がいつも脳科学者なので、いささか胡散臭い人だと思っていた。
しかし今回は、脳科学者という人の推薦がなければ、リンゴ栽培の本などに手を伸ばしはしなかった。
すごくまっとうなだけに、「常識」から外れたところのあるこの本を、きちんと評価した「科学者」の茂木氏の知性を、逆だけれど、私はほんものと見る。
既成の「科学」で説明できないことはあってはならないという、タレント教授のエセ知性にはもううんざりである。
この本あんまり面白いので、まずかみさんに勧めたら、はたして、今朝飛行船に中断されたけれど、三時間ばかりで一息に読んでしまった。
かみさんは、自分の体の中のどこかに残っているかもしれないガンに、
「いい加減にしなさい、あんまりのさばると主人公の私と一緒にダウンしてしまうんだよ」と、以前から語りかけているのだそうだ。
おかげでとりあえず、元気、元気で、「自分と一緒の考えの人がいた」と悦に入っている。あの飛行船がUFOだと、話が出来過ぎだろうなあ。
私は木村秋則さんの見たという「後の無いカレンダー」の最後の日付けが、いつなのか、知りたい。
しかしまた、仮にそれが地球の、あるいは現世の最後の日だとしても、ちょっと時空をずらせば、またべつの在り方で、「いのち」は立ち上がって行くのだという気がしていて、気分は明るい。
木村さんが歯の無い口を大きく開けて呵々大笑している写真を見ると、そんな気がして仕方がない。(迪)■
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