マヤ暦ではこの年の十二月に世界が終末を迎えることになっていたらしいが、どうやら未だ人類全体にも、私個人にも運があったと見えて、生きて新しい年を迎えられそうだ。
たった一週間しか無かった昭和六十四年の最後の日、小渕官房長官が墨書した「平成」の文字を掲げて見せたのがつい昨日のことのようだけれど、以来二十五年も経った。
数えて見れば76年の生涯のうち三分の一を平成、三分の二を昭和の年号のもとに暮らして、このところどうやら平成に慣れたような気がしている。
もうひとつ数えてみれば、今までに丁度五十回の正月を一緒に過ごして来たつれあいが、今年の暮れは静岡がんセンターに入院中で、過ぎ去った歳月を共に懐かしむ相手が、この歳末には傍らに居ない。つれあいの居ない越年は初めてで、何もかも侘びしい。
つれあいは12月12日に13時間を要して顔面の左側四分の一を失う大手術を受けた。
10年前には今回よりも少し奥、左前頭洞を開放しての、15時間を要した手術だったが完治に至らず、以来再発々で大小15回の手術を繰り返して、今回はさらに上顎、下顎の骨を舌の一部も含めて切除し、左眼から下の顔がガランドウになってしまった。
ガランドウを有茎の腹直筋で埋めて皮膚で覆い顔を作り直すという、旧弊な外科医(私が外科医であったのは25年も前のことデス)が驚嘆するような手術をして貰った。
吻合した細い動静脈の血行が確保されるかどうかが心配だったが、形成外科チームの腕は確かで口腔中の腹直筋は生きている・・らしい。
嚥下のリハビリはもう始まっているが侵襲が大きいのと微妙な働きを必要とする場所だけに、流動物さえも経口摂取が出来るようになるまでには訓練を要し、年内の退院は到底無理とのこと。
負けず嫌いの本人は呑みこむときの咽喉の痛みさえ無ければ、もっと上手に呑めるのにと云う。
魚の骨が刺さったままのような痛みが続いていて、定時に胃管から注入する鎮痛剤の効果が切れる夜半、まんじりとも出来なくなるという。
この痛みは術前から続いていて、日が経つにつれて消えつつある術創の痛みとは別モノだという。
今度のガンもそうだったが、最近数回の再発はいつも執拗な痛みを伴った。今、消えていない頑固な痛みがガンの残存を示しているのでなければいいがと、とても気になる。
頻回の再発のために、十年を超す闘病を強いられたあと、今秋には僅か2週間で径1センチ以上にも増大するという、爆発的に進行する、再発というより形相を異にした新生物に取り付かれた不条理に、つれあいはよく耐えた。耐えて、現に戦っている。
医院の経理のことにまるで疎い院長に代わって、術後6日にはもう、点滴やら経鼻胃チューブやら管だらけの状態なのに、病室に持ち込んだパソコンに向かって出入金の帳簿つけ、あちこちへの振込、職員の出勤簿の整理などを始めた。
どうせやらなければならないのだから少しずつでもやっておく・・と。
その責任感と気力には感服の他は無い。
新しい年が彼女にとって(そしてまた私達にも)、一陽来復となることを衷心祈って今年のぼやきを終わる。
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