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訪問くださいまして、ありがとうございます。
鎌倉で開業していたころ、“院長のぼやき”と題して、気が向くと随筆散文を書いていた迪夫さん。院長退任を機に、ブログタイトルを変えたいと、『かまくら便り〜耄碌以前』に改名したそのわけは、
“まだ完全に耄碌してなくて、耄碌する前の、まだ少しは健全なときに書いたものの記録という意味” だそうです。

そんなことを言いながら、あっというまに旅立ってしまいました。管理人はこの軌跡は残しておきたいと思います。(ごくたまに更新する管理人の駄文はこちら「迪巡(みちめぐり)」に書きます。)

追悼ページはこちら

 

 
常念岳
2016.11.23

初めてその端正なピラミッド型の山容を仰いだのは、先輩に連れられて北鎌尾根から槍ヶ岳を登った時だった。それまで信州の山を知らなかったし、安曇野も初めてであった。

真夏のことで、常念山系には雪は無く、盆地の暑気に蒸されて輪郭がぼやけ、後に見ることになった積雪期の厳しい顔つきの山々ではなかった。

初対面の私には、ここに立ち並ぶ常念岳、蝶ケ岳、大滝山などの面々を区別することは出来なかったけれど、これらの山々が単に槍、穂高の前山という感じではなくて、安曇野に聳え立つ壮大な壁に見えた。

瀬戸内海に面する岡山で育って、高い山は伯耆大山しか知らなかった私は、独特の信州の風土を造り上げた諸峰たちの風貌に魅され、一度は登って見ようと思い込んだ。 

友人と同じで、山との出会いにも縁が必要らしく、憧れた山に首尾よく登れたこともあるけれど、殆どの山々とは無縁に終わった。

常念岳に初めて登ったのは一九八三年、四十七歳の時。 短い信州彷徨で記憶していることは殆ど断片的だが、幸いこの山行だけは、書いた記録が残っている。記録を辿ってもう一度、四十七歳の山行を楽しみたい。

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『続・遠ざかる日々』 第11篇 「常念岳」)

迪:2016-11-23)

 
挽歌  (『続・遠ざかる日々』 更新)
2016.6.23
続・遠ざかる日々 第10篇「挽歌」を追加しました。

「続・遠ざかる日々」目次へ


 
コントレール
2016.6.7
「コントレール」という言葉は今年の5月の連休まで、知らなかった。英和辞書を引いてみると、“contrail= 飛行機雲”とある。

『コントレール〜罪と恋〜』は、4月からNHKテレビで始まっている連続ドラマのタイトルである。毎週金曜の夜10時からやっていたらしいが、残念ながら全8回で終わり、今週6月10日が最終回になるという。この一ケ月の間、このドラマに惹き回されていた。

残念ながら・・というのは、このドラマの中の人物達の気持ち、あるいはその動きに惹き込まれて、いままで経験したことのない心境になっていたのが、これで終わってしまう、それが残念、このままでは終ってほしくないという意味である。

◇   ◇   ◇

いままであまり経験したことのない心境を・・ドラマの登場人物に自分を重ね合わせて感じ取った心境を、正確に表現するのは難しいけれど、

(というよりも、素直に言ってしまうのが照れくさく、コッパずかしいというという気持ちがある)

出演した俳優たちがその「役」で表現しようとした人物像だけでなくて、脚本の求める「役」以前の、俳優その人に対する自分の<思慕の想い・・>とでも言うべき気持ちが、何故だか今までになく強い。

早く言えば、私は「コントレール」の俳優達に「惚れて」しまった。とりわけ、主演の石田ゆり子に。

実はあまり経験したことがない・・というのは嘘で、その人の名前を活字で見たりしただけで、あるいは誰かがその人のことを話したりしているのを聞いたりした時に、心のうちに湧き起こる波立つ感情、その人を恋しく思う気持ちになったことを、知らないわけではない。

ただ一度、中学生の時だった。ただ一度、ただ一人の人にだけ・・これを「初恋」というのだろう。その人はもう亡くなって久しいけれど、あの気持ちは70年近く経った今も、いや生涯忘れはしない。

◇   ◇   ◇

自分で少し奇妙に思うのはこの「胸キュン」の気持ちが、なぜ今になって、それも「コントレール」などという言葉をきっかけにして、強く起きるようになったのか。

脳梗塞以来、身体の方の衰えを自覚することが多いが、気持ちの上でも衰弱して来ていて、その精神の衰弱がこの年甲斐もない「胸キュン」に現れているのかという気もする。

ただしこの気持ち、永く隠れていて今現れて来た甘酸っぱい気持ち、少しつらいが懐かしくて、消えてしまって欲しいわけではない。

◇   ◇   ◇

実は連続テレビドラマなるものを、続けてきちんと観たことはなかった。「コントレール」についても何の関心も無かったけれど、5月の連休に偶然再放送の第1回を見て以来、今風に言えば(今風どころか陳腐極まる言い方か)、このドラマに「ハマッて」しまった。

石田ゆり子、井浦新、どちらも知らない人。ただし井浦新については俳優としてではなくて、NHKのEテレ日曜朝9時からの「日曜美術館」の素人っぽいコメンテイタ―として出演していることは知っていたから、若いのに美術について一家言あるらしい人として興味はあった。

石田ゆり子については全く知らなかったけれど、何故だか初めて観た時から、少し寂しそうに見えるけれど、吉永小百合に似た風貌なのでどこか懐かしく、すっかり気に入ってしまった。

この際、照れくさいけれど思い切って言ってしまえば、私は「キューポラのある街」の頃からの熱烈な小百合ファンで、80歳になった今でも(先方様は何歳になったのか知らないけれど)大好きである。でも、当然ながら恋しいという気持ちではない。

◇   ◇   ◇

2月から仕事は半分以上引退の格好になって、自宅にごろごろしている。三食を独りで作って(と言っても大抵はチン)独りで食べる。

独りでいるのが好きなので、一人ぼっちで食べるのに何も問題は無い。

(脳梗塞の後遺症はあるけれど、辛うじて他人の手を煩わさなくて済む程度で、これは本当に幸いだった。)

5月3日の昼、食べながら眺めたテレビに「コントレール」再放映第1回が映っていた。新聞のテレビ番組欄に、井浦新の名前を見つけて、ふとスタートボタンを押したのだったかもしれない。

この日から3日間毎日昼間の再放映があって、6日が金曜日の正規放映の第4回になり、この時から夜の10時に戻った。

あるいは連休の三日間、昼間の空き時間を埋め合わせるのに放映したのかもしれない。

たまたま昼食の時だから観ることが出来たので、夜の10時の放映だったら多分私はこれを観ることはなかっただろう。私にはそれが幸いして、これで80歳の不思議な「胸キュン」の時間を持つことが出来た。

4回連続して観るころには、私はこのドラマにすっかりハマり込んでおり、初めの設定からして幸福な大団円の望めない人間関係であることは判っているのに、ことがうまく運ばないのをなんとかならないかと念じながら、金曜日の金色の時間を追いかけていた。

ところが5月27日はアメリカ大統領オバマさんの広島訪問の日で、その特集で夜10時のドラマ放映は無かった。番組欄に「コントレール」の文字の無い夕刊のなんと味気なかったことか。

◇   ◇   ◇

その翌日、馴染みの「たらば書房」を覗いたら、なんとこの名前のついた新刊の文庫本が2冊置いてある。小学館文庫 原作脚本・大石静、ノベライズ・松平知子「コントレール〜罪と恋〜」、ジャア〜ン!

放映があと2回残っていて、結末がどうなるのか判らない筈なのに、このドラマ、中高年層に評判が良いとかで、「話題沸騰して早くも小説化」されたわけだ。

650円のこの文庫を手に取って、暫く迷った。これを買えば必ず読む。読めばあと2回のドラマの結末が判る。

結末は判っているようなものだけれど、映像でも観たい。いやむしろ映像で観たい。

大石静という女性脚本家なら、むやみに深刻ぶって悲しい結末ではなくて、気分よく終わらせてくれるかも知れないではないか・・・。買ったにしても映像を観るまで読まなければいいのだ・・などなど。

◇   ◇   ◇

結局、買った。一晩は置いておいた。翌日は映像で知っているところまで読んだ。

もう一日経って、堪えきれず、最後まで読んでしまった。

今日は6月7日(火曜日)、次の金曜日が最終回の映像を観る日。80歳の老人を不思議な絵空事の「胸キュン」で震撼させ、今はもう遥か彼方になった初恋を思い出させてくれた1ヶ月が終わる。

脚本を書いた大石静がネットの座談で、「続編を書きたくなるような終わり方になってしまった・・・」と漏らしているのが、少し明るい気持ちにしてくれるけれど。

迪:2016-06-07)

 
かみかふち
2016.5.28

 
ことしの桜
2016.4.8
鎌倉は数日前から段葛の桜満開で春たけなわ、駘蕩たる季節の筈ですが、三月末以来天候勝れず、今日にいたっては朝から本格的な雨が降りしきっています。

おまけに予報によると、今夜に強い南風が吹いてもう桜も保たないだろうとのことです。

二年ほど前から補修工事をしていた若宮大路の段葛が三月末に完成し、鬱陶しい板塀が取り払われてみると、老木が連なっていた桜並木も全て植え替えられて清々しく、一斉に薄紅に咲いて並んでいます。

素晴らしい道になりました。

桜の樹が大きくなるのが、吃驚するほど早いことは以前、庭に一本植えて知っているので、自分が初見参した今年の若木達が爛漫という感じに育つのもそれほど先のことではあるまいと思うけれど、八十歳の自分がどこまで見届けることが出来るかは判らないが、出来れば毎年観に来ようと思いました。

唐突ですが、「私の春の歌」のひとつ。
島田陽子さんの詩です。

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 あの子 かなわんねん
 うちのくつ かくしやるし
 ノートは のぞきやるし
 わるさばっかし しやんねん
 そやけど
 ほかの子オには
 せえへんねん

 そやねん
 うちのこと かまいたいねん
 うち 知ってんねん

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迪:2016-04-08)

 
あの頃
2016.1.31
旧田中医院の終熄を一週間後に控えた1月24日、早暁5時に目が覚めて廊下の西端の居間を窺って驚いた。

白銀色の光が床の絨緞一杯に広がっている。家具什器はすべて影になって、墨色の鮮やかな芸術写真を見る様だ。

寝る前に、天気予報で翌日にはこの冬一番の寒波が襲来し西日本は大雪、関東平野も降るかもしれないと聞いていたから、一瞬この光を雪か霜かと錯覚したが、四階の大きな硝子窓の中、室内の部屋を煌煌と照らしているのは月の光である。

窓際に寄ってみると、思いもかけず白銀の満月が西の山際に沈むところである。

東の山から「盆のような月」が上ってくるのは、子供の時からよく見て知っている。

大抵は中秋の頃か春の菜の花の頃の月だが、今は大寒、しかも西日本、特に九州長崎、鹿児島は記録的な大雪で、沖縄にも115年の観測記録上初めて雪が舞ったという寒い日のこと、南関東だけは晴れ渡っていたらしい。

寒夜、誰も観ていない鎌倉の空を銀色に光る満月が滑るように渡って、いま西の山に沈もうとしているのをはからずも目撃してしまったというわけだ。

「おい、写真だ・・」といいかけてやめた。

写真屋の手を経ないでもパソコンで簡単に処理出来るようになってから、晩年のつれあいはやたら写真に凝っていた。病院の庭の赤い花と入道雲を撮った作品が入選して、入院中の静岡がんセンターの大きなカレンダーになったりしたのがつい先日のことである。

珍しい暁天の満月と、大寒波の中で幕を閉じようとしている「我々の」医院とを合わせて記憶に留める縁として、この光景を写真に撮っておいてくれないかと言いたかったのだけれど。

しかし、つれあいはもうここには居ない。

いま朝日新聞朝刊には沢木耕太郎の「春に散る」という小説が連載されている。中田春彌というひとの挿絵も気に入っていつのまにか毎日読んでいる。

それぞれにチャンピオンになる夢を抱いて、数年の合宿生活をしていたボクサー志望の四人の青年が、歳月を経て齢を重ねた今、また四人が集まって共同生活をしようという話である。

四人のうち誰も拳闘選手として名を成した者はいないし、それぞれがいわば挫折の人生を生きてきた。

寡黙な四人は滅多に長話はしないのに、数日前には一人が他の三人にこう言う。

「あの頃と言うだけで、何の注釈も無くて通じ合える相手がいるというのは、実はとても幸せなことなんだ。

俺は女房が死んで初めてわかった。女房が死ぬというのは、ただそこから生身の女房がいなくなるというだけじゃないんだ。女房と一緒に暮らしていた年月の半分が消えるということなんだ。

あの頃は・・・と言って、すぐに通じる相手がいなくなると、あの頃というその年月の半分が無くなってしまうんだ。

いや、もしかしたら、半分じゃなくて全部かもしれない。だから、俺たちのあのジムの合宿所での五年間について、あの頃と言っただけで通じる相手がまだいるということはすごく幸せなことなんだよ」

その通りだと思う。

女房は勿論、友人にしても、「あの頃」のことをなんにも説明なしで通じ合える相手が年々居なくなるのは、仕方のないことではあるが、寂寥としか言いようがない。

迪:2016-01-31)

 
新生田中医院発足の準備が着々と
2016.1.25
新生田中医院発足の準備が着々と進んでいるらしい。らしい・・などと他人事のように座り込んで居てはいけないのだろうが、実際、ことはもう旧院長の出る幕ではなくなっている。

2月1日、何事もなかったかの如く、新院長のもとで日常診療が始まることだろう。まことに望外の幸せである。

一時は医院の存続を諦めかけた自分をここまで支えてくれた、長女と従業員諸姉に、また立ち腐れになるかもしれなかった医院の再建に力を貸そうと決意して下さった小野村先生に、厚くお礼を申し上げたい。

迪:2016-01-25)

 
随筆集 『続・遠ざかる日々』
2015.4.21
 これまでに書いた文章をもういちどまとめておきたい―。本人みずから常々口にしていたことですが、編集者(サイト管理人)がハッパをかけまして、『続・遠ざかる日々』として、随筆集のつづきを編むことになりました。

 従前雑誌に掲載した散文などがまずは主になると思いますが、電子化しておりませんでしたので、ぽつぽつとキーボードを打っていくのもリハビリかと。。。(先般の脳梗塞発症で軽い麻痺が残っています)。 なにとぞごゆっくりとお付き合いくださいませ。

続・遠ざかる日々 続・遠ざかる日々

1 永日椅座
2 原寸大の「戦艦大和」
3 山で溺れる
4 なにかがやってくる
5.すべて世はこともなし
6.巣鴨の背高童子
7.昭和二十年の夏
8.もう後がない
9.脳梗塞始末
10.挽歌
11.常念岳
以下追加予定


ちなみに、

前著 『遠ざかる日々』は
こちらから読めます。

【平成17年度 内田阨カ学賞(随筆部門)優秀賞受賞作品収録】

遠ざかる日々

 

(サイト管理人:2015.4)

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遠ざかる日々
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続・遠ざかる日々
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