旧田中医院の終熄を一週間後に控えた1月24日、早暁5時に目が覚めて廊下の西端の居間を窺って驚いた。
白銀色の光が床の絨緞一杯に広がっている。家具什器はすべて影になって、墨色の鮮やかな芸術写真を見る様だ。
寝る前に、天気予報で翌日にはこの冬一番の寒波が襲来し西日本は大雪、関東平野も降るかもしれないと聞いていたから、一瞬この光を雪か霜かと錯覚したが、四階の大きな硝子窓の中、室内の部屋を煌煌と照らしているのは月の光である。
窓際に寄ってみると、思いもかけず白銀の満月が西の山際に沈むところである。
東の山から「盆のような月」が上ってくるのは、子供の時からよく見て知っている。
大抵は中秋の頃か春の菜の花の頃の月だが、今は大寒、しかも西日本、特に九州長崎、鹿児島は記録的な大雪で、沖縄にも115年の観測記録上初めて雪が舞ったという寒い日のこと、南関東だけは晴れ渡っていたらしい。
寒夜、誰も観ていない鎌倉の空を銀色に光る満月が滑るように渡って、いま西の山に沈もうとしているのをはからずも目撃してしまったというわけだ。
「おい、写真だ・・」といいかけてやめた。
写真屋の手を経ないでもパソコンで簡単に処理出来るようになってから、晩年のつれあいはやたら写真に凝っていた。病院の庭の赤い花と入道雲を撮った作品が入選して、入院中の静岡がんセンターの大きなカレンダーになったりしたのがつい先日のことである。
珍しい暁天の満月と、大寒波の中で幕を閉じようとしている「我々の」医院とを合わせて記憶に留める縁として、この光景を写真に撮っておいてくれないかと言いたかったのだけれど。
しかし、つれあいはもうここには居ない。
いま朝日新聞朝刊には沢木耕太郎の「春に散る」という小説が連載されている。中田春彌というひとの挿絵も気に入っていつのまにか毎日読んでいる。
それぞれにチャンピオンになる夢を抱いて、数年の合宿生活をしていたボクサー志望の四人の青年が、歳月を経て齢を重ねた今、また四人が集まって共同生活をしようという話である。
四人のうち誰も拳闘選手として名を成した者はいないし、それぞれがいわば挫折の人生を生きてきた。
寡黙な四人は滅多に長話はしないのに、数日前には一人が他の三人にこう言う。
「あの頃と言うだけで、何の注釈も無くて通じ合える相手がいるというのは、実はとても幸せなことなんだ。
俺は女房が死んで初めてわかった。女房が死ぬというのは、ただそこから生身の女房がいなくなるというだけじゃないんだ。女房と一緒に暮らしていた年月の半分が消えるということなんだ。
あの頃は・・・と言って、すぐに通じる相手がいなくなると、あの頃というその年月の半分が無くなってしまうんだ。
いや、もしかしたら、半分じゃなくて全部かもしれない。だから、俺たちのあのジムの合宿所での五年間について、あの頃と言っただけで通じる相手がまだいるということはすごく幸せなことなんだよ」
その通りだと思う。
女房は勿論、友人にしても、「あの頃」のことをなんにも説明なしで通じ合える相手が年々居なくなるのは、仕方のないことではあるが、寂寥としか言いようがない。