右冠状動脈が99%、左冠状動脈の前下行枝が99%、廻旋枝が77%の閉塞率とのこと、この数字、開通率ではなくて狭窄の割合だといわれるのには参った。つまり主要な3本の動脈が全滅の状態なのだそうだ。
血行障害の範囲から云って、<ひとむかし前>ならバイパス手術が第一選択になる状態で、特に左冠状動脈が2本に分かれる直前の「主幹部」にも一部狭窄があり、これを拡張してステントをいれると、ここで分岐する前下行枝かあるいは後方への廻旋枝のどちらかが犠牲になる恐れのある場所で、手術以外は考えられなかったところだと、これは陪席した柳沼先生が別の日に教えてくれたことである。
この時「大丈夫、齋藤先生だから何とかしてくれますよ」と若い柳沼先生が笑ってくれたのが随分救いになった。
手術なら入院が4〜6週間を必要とするとの話なので、そうなるともはや田中医院を続けることは出来ない。今まで頭頂部の皮膚癌も、直腸癌も、水曜半日と木曜日一日を利用して何とかごまかしてきたけれど、いよいよここで閉院せざるを得ないことになるかと暗然としたが、齋藤先生はこちらの事情をよく御承知で、出来ることなら手術は避けたいという私の希望を容れて、ステントでやってみましょうといってくださった。
それも通常2泊3日の入院治療を、毎回1泊2日で出来るように日程を作ってくださった。弱小医院の外来診療に極力穴を開けないで済むようにというこの齋藤先生の配慮のお陰で、院長の寿命と共に田中医院の寿命も延びた。まことに有難いことであった。